今回は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある「槵觸神社」へ行って参りました!
「槵觸神社」は、古事記・日本書紀にも記されている、天孫降臨の地として伝えられている神社です。
昔は社殿が無く、山そのものを神として崇めていました。
神社周辺には、神話史跡がたくさんあり、散策コースも整備されています。
「天真名井」、「夜泣き石」、「四皇子峰」、「高天原遥拝所」、「高千穂碑」など見どころ満載!
※詳しくは、目次から飛んでみてください♪
御祭神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。
そんな槵觸神社の魅力をこの記事で紹介していきます♪
この記事で分かること
「槵觸神社」の利用時間・場所
「槵觸神社」の見どころ
「槵觸神社」の境内
「槵觸神社」の社殿
「槵觸神社」周辺について
「天真名井」について
「夜泣き石」について
「四皇子峰」について
「高天原遥拝所」について
「高千穂碑」について
こんな人にオススメ!
槵觸神社は、古事記・日本書紀にも記されている、天孫降臨の地として伝えられている神社です。
高千穂町の有形文化財に指定されています。
☆神話史跡巡りをしたい方
槵觸神社周辺には、「天真名井」「夜泣き石」「四皇子峰」「高天原遥拝所」「高千穂碑」などがあり、散策できるように遊歩道が整備されています。
高槵觸神社について
「槵觸神社」は、古事記・日本書紀にも記されている、天孫降臨の地として伝えられている神社です。
昔は社殿が無く、山そのものを神として崇めていました。
神社周辺には、神話史跡がたくさんあり、散策コースも整備されています。
「天真名井」、「夜泣き石」、「四皇子峰」、「高天原遥拝所」、「高千穂碑」など見どころ満載!
※詳しくは、目次から飛んでみてください♪
御祭神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。
槵觸神社の利用時間・場所
INFORMATION
名称 | 槵觸神社 |
住所 | 〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713 |
電話番号 | 0982-72-2413 高千穂神社 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
ホームページ | 槵觸神社 |
※2021年12月時点の情報ですので、来られる際は、あらかじめ公式ホームページ等でご確認ください。
MAP
駐車場は無料ですが、停められるのは、車5~6台といったところです。
槵觸神社の見どころ
境内
槵觸神社は、森林に囲まれて、ひっそりと佇んでいます。
槵觸神社が鎮座する“くしふる峯”は、古事記に「筑紫の日向の高千穂の久志浮流多気(くじふるたけ)」と記されてあり、天孫降臨の地だと伝えられています。
神社創建は不詳ですが、天文年間(1532年~1555年)に再興されたと言われています。
槵觸神社は、槵觸山を神として崇めていたため社殿はありませんでしたが、元禄7年(1694年)に社殿が建立されました。
手水舎で清めます。
社殿まで、石段が続いています。
途中に、土俵が現れました。
槵觸神社で毎年開催されている秋季例大祭で、何百年と続いている「奉納相撲大会」が行われるそうです。
相撲のルーツは、天孫降臨前に行われた「国譲り」で、武甕槌命(たけみかずちのみこと)と建御名方命(たけみなかたのみこと)が行った力競べだと言われています。
ようやく、社殿に到着!
けっこう息が切れました(^^;
社殿(拝殿・本殿)
拝殿です。
本殿は、棟に千木・鰹木を置く三間社流造銅板葺
本殿の側面には、龍や二十四孝の代表的な15の彫刻が施されています。
平成2年(1990年)に、高千穂町の有形文化財に指定されています。
槵觸神社周辺
天真名井(あめのまない)
槵觸神社から約5~10分ほど歩くと、天真名井へ行くことが出来ます。
天真名井には、駐車場が無いので、槵觸神社の手水舎の横の道を歩いてみました。
裏路地的な感じで、少しワクワクします(笑)
小学生の息子と、姪っ子も楽しそう♪
天真名井に到着しました!
天真名井は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨された際、この地に水が無く、天村雲命(あめのむらくものみこと)が再び高天原に上がり、この場所に水種を移したと伝えられ御神水として信仰されています。
巨大なケヤキが!
春の高千穂神社、秋の槵觸神社例祭では、お旅所として神輿が安置され、神楽が奉納されています。
ケヤキの根元から、今も天然水が湧き出ています。
高千穂峡の真名井の滝の水源にもなっていると伝えられています。
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夜泣き石
天真名井のすぐ近くに「夜泣き石」があります。
この石には、3つの言い伝えがあります。
- 近くの村に災いがある時は、石が夜にうごめいて知らせたことから「夜泣き石」と言われている
- 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が、難産でこの石に抱きついてお産をされたという伝説がある
※豊玉姫(とよたまひめ)・玉依姫(たまよりひめ)のお産伝説もあり - 「夜泣きの激しい赤ん坊は、この石を触ると泣き止む」とも言われ、昔は赤ちゃんを抱いた女性がよく来ていた
神話史跡コース
槵觸神社の周辺には「神話史跡コース」があります。
場所が分かりづらかったのですが、看板に沿っていけば辿り着けます!
まず、道路沿いを歩きます。
少し進むと脇道がありますので、ここも看板に沿って歩きます。
「四皇子峰」「高天原遥拝所」「高千穂碑」の3つの看板と鳥居がありました。
どちらから行っても、この場所へ戻ります。
体感的には、1周徒歩15分~20分の距離でした。
今回は、鳥居の方から進みます。
四皇子峰(しおうじがみね)
鳥居の先には、まず「四皇子峰」があります。
ここは、神武天皇の御兄弟神(四皇子)誕生の地と言われている聖域です。
神日本磐余彦尊は、高千穂の宮で東征について彦五瀬命とご相談され、日向から筑紫、安芸、備後熊野を経て大和に入られ、平和国家を築かれたと言われています。
またも鳥居がありました。
鳥居の陰に隠れている何かは、心霊現象ではなく、小学生の息子です(笑)
槵觸神社では、心霊現象やらパワーがすごいという噂もあります。
私は、霊感0でパワーも感じない平凡な人間なので分からないですが、神聖な場所だということは雰囲気で伝わります♪
木々に囲まれて、とても静かな場所ですね。
高天原遥拝所(たかまがはらようはいしょ)
四皇子峰から歩いてすぐのところに「高天原遥拝所」がありました。
天孫降臨後に、神々がこの丘に立って、高天原を遙拝した場所と伝えられています。
先ほどまでは登りでしたが、今度は下っていきます。
高千穂碑
開けた場所に出ました。
ここに、高千穂碑があります。
高千穂碑は、奈良時代に編纂された「日向風土記」で、“皇祖発祥の地”と伝えられる高千穂の地を伝承するため、1967年(昭和41年)に建立されました。
大友家持が残した万葉集の古歌が刻まれています。
Movie
まとめ
「槵觸神社」は、いかがでしたでしょうか?
- 槵觸神社が鎮座する“くしふる峯”は、古事記に「筑紫の日向の高千穂の久志浮流多気(くじふるたけ)」と記されてあり、天孫降臨の地だと伝えられている
- 神社創建は不詳だが、天文年間に再興されたと言われている
- 昔は社殿が無く、山そのものを神として崇めていた
- 元禄7年(1694年)に社殿が建立された
- 御祭神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)
- 石段が少し辛い
- 土俵がある。何百年と続いている「奉納相撲大会」が行われる
- 相撲のルーツは、天孫降臨前に行われた「国譲り」で、武甕槌命と建御名方命が行った力競べだと言われている
- 本殿は、棟に千木・鰹木を置く三間社流造銅板葺
- 本殿の側面には、龍や二十四孝の代表的な15の彫刻が施されている
- 平成2年(1990年)に、高千穂町の有形文化財に指定されている
- 槵觸神社から約5~10分ほど歩くと、天真名井へ行くことが出来る
- 天真名井には、駐車場が無い
- 天真名井へは、槵觸神社の手水舎の横の道から行ける
- 天真名井は、瓊瓊杵尊が降臨された際、この地に水が無く、天村雲命が再び高天原に上がり、この場所に水種を移したと伝えられ御神水として信仰されている
- ケヤキの根元から、今も天然水が湧き出ている
- 天真名井のすぐ近くに「夜泣き石」がある
- 「夜泣き石」には、3つの言い伝えがある
- 槵觸神社の周辺には「神話史跡コース」がある
- 「神話史跡コース」は、「四皇子峰」「高天原遥拝所」「高千穂碑」を周るコースで、1周徒歩15分~20分の距離
- 「四皇子峰」は、神武天皇の御兄弟神(四皇子)誕生の地と言われている聖域
- 「高天原遥拝所」は、天孫降臨後に、神々がこの丘に立って、高天原を遙拝した場所と伝えられている
- 「高千穂碑」は、奈良時代に編纂された「日向風土記」で、“皇祖発祥の地”と伝えられる高千穂の地を伝承するため、1967年(昭和41年)に建立された
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。